2006年7月10日月曜日

パソコンとネットワークの融合



パソコンとネットワークの融合
生協の情報システムが抱える今日的課題 第6回


 かつて第一次といわれるパソコンブームがあった。およそ十年少し前だろうか、いわゆるWindows95が登場してWindowsがパソコンOSのデファクトスタンダードになった時期だ。すでにインターネットという言葉は一般化していたし、情報システムの世界でもキーワードは「ネオダマ」(ネットワーク、オープンシステム、ダウンサイジング、マルチメディア)といわれていた時期だ。いくつかのキーワードは既に死語になってしまったほどITの世界の流動化は進んでいるのだが、このキーワードの先頭にあるネットワークこそがこの後の十数年で世の中の様相を大きく変化させたものであるし、その変化は、今も、ますます勢いを増して続いている。

 ただ、当時はまだネットワークといっても特殊な業務専用のデータ通信に過ぎなかった。家庭においてもパソコンの多くはカバーが掛けられたまま放置されていたし、ビジネスにおいても専用ワープロに表計算機能が加わった程度で、メールやファイルサーバという機能は、まだ一部の恵まれた人々の特典だった時代だった。

 考えてみれば当然のことだが、パソコンをワープロとして使うだけであれば、単なる清書機だし、「最近は伝言メモもワープロ打ち」などという川柳があったほどで、高価な割に経営に貢献していたとは言いがたい面の多かったパソコンだった。

 しかし、この一台一台ではワープロ付き卓上計算機だったパソコンがビジネス全体を変貌させ始めたのは、ネットワークによって結び合わされ、集合知を共有するようになってからだ。たまたま、生協というひとつのビジネス世界において、ネットワークがパソコンを大きなビジネスツールに変貌させる局面に立ち会えたことは、わたしの中でも大きな経験となっている。

 それは、12年前の阪神大震災の直後からはじまった。

 我が国においてインターネットという言葉が一般化した契機となった阪神大震災だったが、生協においても最大規模のコープこうべが甚大な被害を被っただけでなく、神戸を拠点に次世代の生協の情報システム構築をめざして進められていたC-TOPIAプロジェクトも一時中断のやむなきに至った。震災で本部ビルの倒壊とホストコンピュータをはじめとする情報システム基盤のほとんどを消失したコープこうべでは、本部機能が協同学苑など三カ所に分散するという、一歩誤れば組織の機能不全にも陥りかねない事業環境の中で震災からの復興に当たらなければならなかった。

 情報システム部門の復旧も、事業分野において全国からの必死の応援に支えられたのと同様に、日本生協連やC-TOPIAプロジェクトの協力生協の支援、そして多くのコンピュータメーカーが、コープこうべ復旧のために全国から最優先で資材や人材を集めてくれたことで、5月頃には基幹システムの復旧に光が見え始めていた。

 しかし、いったん破綻した業務のワークフローを再構築することは容易なことではなかった。ワークフローを変更するということは平常時でも大変な労力を必要とする。ましてや復興の中で平常といえるものがほとんどあり得ない中、なによりも関連部署間、本部と第一線の共同作業がどれだけ円滑に行われるかがポイントになる。そのためには徹底した情報開示とコミュニケーションが要求された。

 どうすればそれが実現できるのか。ツールはいくつもあった。分散した本部間にはテレビ会議システムも試験的に導入されていたが、ほとんど利用されていなかった。

 コープこうべは決断した。それは、基幹システムとは別に本部と全事業所を結ぶ情報ネットワークをパソコンで再構築する。本部スタッフには可能な限りひとり一台のパソコンを配備する。そしてなにより重要だったのは、情報系の基幹システムとして電子メールやファイル共有だけでなく、ワークフローの構築までを可能とするグループウエア、しかも、当時、世界標準であったロータスノーツおよそ二千ライセンスを一千台を越えるパソコンとともに各事業所と本部職員に配布したのだ。

(コープソリューション 2006年7月号掲載)