2007年9月22日土曜日

若きシステム要員へのメッセージ(1)

若きシステム要員へのメッセージ(1)


 職場にはだいぶ慣れましたか?
 仕事の最初は言葉をどう覚えるかなんですよね。どんな仕事にしろ。
 先輩達の会話がわかりはじめると、やっと自分もその部署の一員に慣れた気がしませんか。 もっとも、システムの世界にはやたら人間離れした言葉ばかりを並べ立てる人がいますが、そういうところは見習わないように。撃退方法は、「それ、人間の言葉で言うと?」。


 ところで、最初の頃のコメントで、ブートストラップローダーという言葉の意味を質問しましたが、わかりましたか?
 ブートは、ビリーおじさんのブートキャンプと同じ意味です。あたまにREを付けるとリブート、どこかで聞いたことがあるでしょう?


 ブートストラップというのは「靴ひも」のことです。ブートキャンプもそうですが、最初の身支度として靴をはくという動作があることから、Bootという言葉には「最初の」という意味が含まれるようになったという話です。リブートは最初に戻るから再起動ですね。
 コンピュータのブートストラップというのは、この最初という意味と、本当に靴ひもというイメージが合わさっています。


 ここからはちょっと専門的な話になりますけど、電源が入ったばかりのコンピュータのメモリー上には何もプログラムはありません。現在でこそ、EP-ROMなどの電源を切ってもメモリーが消えないものもありますが、実際にプログラムが動作する場所(RAM)とは違います。
 では、この空っぽのメモリーを持ったコンピュータに仕事をさせるのにどうするのか、というと、ブートローダーというきわめて小さな、そして簡単なプログラムを入れます。どうやって入れるかはここでは省略。そのプログラムの仕事は、次にちょっと大きなプログラムを記憶装置から呼び出してメモリーに置いて実行させること。このプログラムも、同じように次にちょっと大きなプログラムを記憶装置から呼び出してメモリーに置いて実行させます。こうしてしだいに大きくて複雑なプログラムがコンピュータのメモリー上で動き始めるわけです。
 この動作が、靴の靴ひもを1本づつ靴ひもの穴をとおして編み上げていく作業に似ていることから、一番最初にコンピュータに格納される小さなプログラムを「靴ひもを編み上げるもの」という意味でブートストラップローダーと呼びます。


 靴ひもは、最初の穴からしっかりととおしてきっちりと締め付けていかないと、履き心地が悪くなったりしてしまいます。コンピュータでもこのブートストラップローダーがきっちりとした仕事をしないと起動時にエラーなどをおこしてしまう一因になってしまうのです。
 あなたも、システム要員としては今がこのブートストラップローダーが起動しはじめている段階ですから、ひと穴ひと穴きっちりと組み上げていってもらいたいという思いでこの言葉を思い出したわけです。


 さて、余談ですが、先ほど省略したブートストラップローダーを最初にどうやってコンピュータにロードするのかという話。最近はもうそんなことはありませんが、いにしえの話だと思って聞いてください。
 大昔のコンピュータは、飲料の自販機の倍ほどの大きさのものもあって表面にはボタンやスイッチが一杯ついていました。
 その中でも多かったのが、上下にON/OFFする棒状のトグルスイッチで、一列に16個とか32個とかついていました。
 コンピュータを起動するときに、このトグルスイッチを順番にON、OFF、ON、ON、というふうに入れたり切ったりして011000101001001といった2進数の文字を作ります。そして、ROADと書かれたボタンを押すと、これでコンピュータの一番原始的な動作命令の1ステップがコンピュータに格納されるわけです。これを数10回繰り返してすべての命令を格納し終えたら、スタートボタンを押すとコンピュータが次のブートのステップへ進行していくというものです。





 わたしも実際に作業をしたことはありませんが、コンピュータセンターのオペレータの朝一番の仕事だったという話を聞いたことがあります。まさに、1ステップずつ組み上げていくというブートストラップの動作ですね。




2007年6月4日月曜日

ITC近畿会総会が開催

ITC近畿会総会が開催


 
6月2日(土曜日)、ITC近畿会の平成19年度総会が、大阪市中央区本町橋にあるマイドームおおさかにて開催されました。


 午後1時からの総会では、ITC協会の関会長、近畿経済産業局、関西情報・産業活性化センター(KIIS)からの来賓をはじめ、60人近い参加の下で開催され、18年度の活動報告、決算報告、19年度の活動方針、予算案が拍手で承認されました。また、今期は役員改選期ではないものの、任期途中での退任などもあり、5人の新任理事が承認され、22人の理事体制で19年度の活動をすすめていくことになりました。


 総会のあとは、セミナーに移り、ITC協会の関会長の講演などが行われました。


(写真は講演中のITC協会、関会長)


2007年3月22日木曜日

生協の情報システム、空白の10年(3)



生協の情報システム、空白の10年(3)
生協の情報システムが抱える今日的課題 第12回(最終回)


 極めて雑薄な私見ではあるが、コープこうべとユーコープという当時の日本を代表する二大組織をベースにして共同開発を行うことに、最大の問題があったように思える。歴史もあり巨大であるが故に組織風土や組織文化にそれぞれ独特のものがあり、それらを整合させるというプロセスにあまりに多くの労力を必要とした。ではなぜ、その労をいとわずに二大組織をベースとしたかというと、どちらの組織も、みずからの事業モデルが普遍的なものでないという負い目を持っていたからではないか。もし、普遍的な事業モデルを確立出来ていれば、単独ででもプロジェクトを推進する力量はあったはずだ。しかしながら、どちらの組織も時間をかけ、積み上げてきた業務体系や事業システムがあり、その中には当然多くの矛盾や問題点を内包したままで拡大してきていた。近年、ERPシステム(企業の経営資源を統合管理するシステム)として大規模パッケージのSAPなどを大企業がこぞって導入している理由の一つは、それまでのしがらみを捨てて、国際標準の事業モデルや業務システムに自社を適合させるためというものがある。


 今更の感はあるが、どちらかの組織をモデルとしてシステム化を進めていれば、プロジェクトは成功裏に終わったかもしれない。だが、その場合、完成した共同システムにはベースとなった組織の内在している矛盾や問題点をそのまま引き継ぐことになっていただろう。本来めざしたものは、どちらの組織にも依拠しない、まったく新しいERPシステムだったはずだ。


 おそらく、それ以外にも、前回述べた阪神大震災の影響、バブル期といわれた好況期に開始されたプロジェクトが、バブル崩壊とともに両組織に余裕がなくなってきたことなど複合要件によって完成を見なかったのだろう。


 C-TOPIA以降、生協陣営では厳しい業績の中で事業の存続という生き残りをかけた取り組みにそれぞれの組織が専心せざるを得なくなって、共同化システムや統合化システムという動きは表面上は見えなくなってしまった。


 そして空白の十年が過ぎた。


 今、ようやく生協陣営に中に再び全国共同化システムの動きが出始めている。日本生協連とコープネット事業連合が中心となって進めている事業統合の動きだ。前回の轍を踏まず、事業連合とはいいながら、首都圏の大規模生協の統合を果たしてきたコープネットをパートナーとし、日本生協連が連合会の枠を越えて事業に進出するという新しいフレームの中で、今、遅ればせながら、日本の生協陣営の未来を見据えた共同化が始まろうとしている。


(コープソリューション 2007年1月号掲載)




2007年2月12日月曜日

生協の情報システム、空白の10年(2)



生協の情報システム、空白の10年(2)
生協の情報システムが抱える今日的課題 第11回


  C-TOPIA(シートピア)プロジェクトは様々な面で生協の次世代を担うプロジェクトであった。情報システムの面においては、すべての基幹システムを旧来のホストコンピュータから分離して、オープン系のサーバコンピュータで構成されたシステム上で構築した。ここまで全面的なオープン系システムへの移行は、生協陣営では、ようやく数年前にとある事業連合で実現できたに過ぎない。ただ、この早すぎたチャレンジは、開発過程だけでなく稼働後も様々な試練をシステム部隊に課すことになった。当時のオープン系システムを扱う技術は、世界でもトップクラスの技術力を持ったソフトウエア企業しか有していない時代で、導入したパッケージソフトも世界中から取り寄せたものも多かった。少しでも障害があると国内だけでなく海外へも問い合わせをしなくてはならない場面もあったという。


 生協側のシステム要員も多くはホストコンピュータ育ちでサーバはおろか、パソコンすら詳細には熟知しているとはいいかねる力量と、組織文化の違うメンバーが集まったことによるギャップの大きさが彼らの前に立ちはだかった。しかし、そういった障壁を乗り越えていく中で、システムの共同化とプロジェクト運営の重要性を関わった組織やメンバーに浸透させたことは少ないながらも評価できる部分だろう。


 事業システムを構築するという面においては、従来のあり方にとらわれない、あるべき事業モデル、当時はまだビジネスモデルという言葉すら一般化していなかった時代に、真っ向から事業モデル作りに取り組んだプロジェクトの存在は特筆に値する。


 阪神大震災後になるが、プロジェクトの終盤近くになって、わたしも会議の末席に連ならせていただいたが、当時参加組織の常務で、違う組織ながら現在もご活躍されているKさんの事業モデル構築への強い想いとプロジェクト推進への指導力に深い感銘を受けたことを覚えている。それまでシステム一辺倒だった考え方を、大きく事業やその他の方面へと意識改革していただいたと感謝している。


 しかし、こうして基幹システムを次々と構築していったC-TOPIAプロジェクトだったが、店舗システム構築の途上で、ユーコープとコープこうべがそれぞれ独自にシステム化を進めることになり、共同システム化は頓挫することになってしまった。また、共同化の後に全国へ向けて展開を進めるはずだったが、それもまた結果を出せないままで終わってしまったことは生協陣営にとって極めて残念なことだったといえよう。


 成功していれば、まさしく生協版プロジェクトXとしてかの番組に取り上げられたかもしれないプロジェクトだったが、完全な失敗ではないまでも、途中で頓挫した原因とはなんだったのだろうか。現在も、まだ明確にこのプロジェクトを総括した評価は出されていない。次第に当事者が少なくならないうちに何らかの総括がなされるべきではないだろうか。
(次号に続く)


(コープソリューション 2006年12月号掲載)




2007年1月17日水曜日

生協の情報システム、空白の10年(1)



生協の情報システム、空白の10年(1)
生協の情報システムが抱える今日的課題 第10回


 今日、生活実感にはほど遠いものの、国内の経済は戦後最長の好景気のただ中にあるらしい。その評価や定義は置くとして、この景気回復以前に、好景気を超える長い不況の時代があったことをみなさんはもはや忘れてしまったわけではないだろう。日本経済にはバブル景気崩壊後、空白の十年といわれる時期があった。いわゆる一九九〇年代のことだ。経済界はこの十年間でバブル期に貯まった負の遺産を身を切りながらはき出して経営体質をより筋肉質のそれに変化させたといわれている。生協はどうだろうか。一九九五年の阪神大震災を境にして生協も厳しい業績に見舞われていき、リストラや事業縮小に追い込まれたところも少なくはない。ほとんどの生協や事業連合が何らかの傷を残して今日に至っている。ただ、この空白の十年は、産業界にとっても再生への十年であったはずなのだが、あえて空白と評されるゆえんは、それまでの日本経済を支えてきた技術力が、アジア諸国を中心に日本を凌駕してしまう時間を与えたことだといわれている。空白の十年の間、レースでいえば日本はビットインしていたわけだ。その間に抜かれてしまうことは想定の範囲内といえるかもしれない。しかし、これから再び筋肉質となった体力とパワーで先行するライバルを追撃にかかればいいわけだ。


 しかし、生協はどうだろうか。やや遅れて始まった空白の十年は、不振事業を整理し、人員を整理することはできた。しかし、体質は変化したのだろうか。体質が変化したから業績が向上しているのだろうか。個配の拡大も単に社会全体の好景気に支えられた生活スタイルの変化によるものでしかないのではないか。社会全体は堅実な景気回復を図っている中で、生協はそれに寄りかかっているだけの、再びバブルの夢を見ているだけではないかと危機感を抱いている経営トップは決して少なくないように思える。


 わたしがこう主張する背景にあるのが、生協にとっての、一九九五年以降の十数年が情報システムにおける空白の十数年だったという認識からだ。しかも、その空白期間は今現在も続いているといって間違いない。


 一九九五年前後の生協の情勢は今日とあまり変化がない。巨大化した生協と巨大な事業連合が各地で増加しつつあり、経営的な不安定さも持ちつつもさらなる発展形をめざしていた。しかし、当然のことながら、そういった脆弱な体質に危機感を持つトップ層は多く、全国共通の生協としての事業モデルの確立とそれをサポートする情報システムの統一が不可欠であるという認識が合意形成されていた。全国を統一できる事業モデルと情報システム、それを実際に実現できる組織をベースに構築するという命題のもとで、日本生協連とユーコープ事業連合、コープこうべの共同プロジェクトが立ち上げられ、三者のシステム要員が中心となって全国の情報システム共同化センター「(株)コープ情報システムセンター(コープISC)」が設立されたのだった。


 この共同プロジェクトとコープISCがめざしたものは、それぞれの生協の業務要件や過去の成り立ちといったものに左右されない新しい時代に適応できる事業モデルを構築し、それを情報システムとして実装するというものだ。そして、さまざまな困難を乗り越えて、財務、商品企画、商品調達とサブシステムの実装が進み、店舗システムの構築をすすめようとしている矢先、一九九五年一月一七日未明の阪神大震災が発生した。


 コープISCの開発拠点も神戸市内で大打撃を受け、要員の大半がコープこうべのシステム復旧にかり出されたために、プロジェクトは一時中断のやむなきに至った。数ヶ月後にプロジェクトは再開されたが、店舗システムというそれまでと違って現場業務の再構築を必要とする事業モデルの構築で参加組織間の連携がはかれないまま、数年後にプロジェクトは解散し、コープISCもコープこうべ単独の関連会社となって合併の後、その姿を消している。


 こうして、生協が陣営を挙げてめざした全国統一の事業モデルと情報システムの構築は、プロジェクト名称C-TOPIA(シートピア)とともに消えてしまったのだ。


(次号に続く)

(コープソリューション 2006年11月号掲載)