2005年8月25日木曜日

インプットとアウトプット

インプットとアウトプット


[抄録]
 インプットとアウトプットは必ず等価であること、このことはコンピュータシステムに限らず、社会システム全般にいえること。あらゆる社会システムは、コンピュータシステム同様、[インプット]→[処理]→[アウトプット]という処理フローの集合体でありそれを複雑化したものであることを理解しておくべきだ。



■ 処理の原点は[インプット]→[処理]→[アウトプット]


 コンピュータの教科書をひもとくと、その最初に必ずといっていいほど、[インプット]→[処理]→[アウトプット]という図が出てきます。コンピュータというものは、インプットを受けて処理をし、アウトプットをするものだという概念をもっとも単純化したフロー図なのです。この[処理]の部分がコンピュータの役割なのですが、ここが次第に複雑化し、それとともにブラックボックス化しているのがコンピュータシステムの現状というわけです。


 ただ、どれほど複雑化し、ブラックボックス化したとしても、処理の前後においてインプットとアウトプットは必ず等価でなくてはならないという絶対的な原則があります。自動販売機を例にとってみましょう。内部がどういう構造になっているかは利用者にはブラックボックスですが、200円を入れて好みのボタンを押すと、120円の缶ジュースと80円が返ってきます。これが違うジュースだったり、おつりが足りなかったりすると、たちまちクレームになってしまうわけです。


■ 行方不明になるインプットデータ


 こんなことは当たり前、といいたいところなんですが、コンピュータシステムの世界では、最近、これが当たり前でないことが往々にしてあるということに気づきました。わたしの場合、一般企業のシステム部門に勤務していますので、日常的に業務システムの運用上のさまざまな報告を受ける立場にあります。一番多い報告が、システム上のトラブルや人為的ミスにより業務面へ影響を与えた場合に報告される、いわゆる障害報告といわれるものです。


 今日も担当者がやってきました。「で、双方のサーバのマスタに非同期がありまして、受け取ったトランザクションをオミットして・・・」「以前からこのコードのデータはオミットする仕様になっていまして・・・」などとなにやら難しそうな説明を繰り返してくれるので、「それは簡単に言えば条件に合わないデータを削除したということなんだね。それなら当然、エラーリストなりログなりに出して利用部門にもわかるようになっているよね?」と問いかけると、担当者いわく「いえ、オミットしているだけです・・・」。


■ インプットとアウトプットは必ず等価であること


 ホストコンピュータと云われた大型汎用機の世界では、処理実行時に実行レポートなどを出力していて、オペレータという専属の人間がインプット件数とアウトプット件数をチェックするという時代もありましたが、サーバやパソコンといったオープンシステムの時代にはいると、次第にそういったチェックへの意識は薄れて来ているようです。もちろん、その背景には高度なサーバ管理システムなどもあって専任のオペレータがいなくても、以上があれば携帯電話にメールを送信して知らせてくれるなどより高度な対応を実現してくれていることもあります。インプットとアウトプットのチェックなどもそういうチェックポイントを組み込んでおいて、異常があれば通知することなどきわめて簡単なことです。しかし、それをシステムに組み込む人間に意識がなければ、彼らの言葉を借りれば、簡単にオミットされて、コンピュータの中で迷子になってしまうデータが誕生するわけです。


 インプットとアウトプットは必ず等価であること、このことはコンピュータシステムに限らず、社会システム全般にいえることだと思います。あらゆる社会システムは、コンピュータシステム同様、[インプット]→[処理]→[アウトプット]という処理フローの集合体でありそれを複雑化したものです。ビジネスモデルにせよ経営改革にせよ、常に考えておかなくてはならないのが、どういうインプットからどういうアウトプットを生み出すか、ということなのです。もちろん、インプットとアウトプットが必ず等価になるというのは、ひとつの価値基準においてであり、別の価値基準からすれば、まったく新しい価値を創造したり、従来の価値を増幅したりするものであることは云うまでもありません。


2005年8月11日木曜日

改革には「後退」も「停滞」も許されない

改革には「後退」も「停滞」も許されない


■ 時代を見失った政・官・報


 いずれの会社や企業においても置かれている状況がわからないままに、狭い社内での抗争や自己保身に走る輩は多いものです。しかし、それであっても、バブル期以降の空白の10年といわれる経済の停滞期とそれに続く長い不況の時代を生き抜いてきた企業においては、常に自分の周囲にある状況を理解し、絶えず挑戦と改革を繰り返しながら、自らにこそ厳しく律していくという企業風土がめばえてきているわけです。


 しかしながら、情勢への理解なく、日夜不毛な抗争と保身に明け暮れている集団が日本にも、それも国家の中枢にしぶとく生き残っていました。


 経済は回復基調にあるとはいえ、日本という国家全体を考えるときに、その財務状態がいかに危機的な状況にあるかは多くの識者からも指摘されているとおりです。しかしながら、高度経済成長期以来、政治家も官僚たちも誰ひとりとして有効な方策を打たずに今日を迎えています。あえて、この間に成果を上げた対策のひとつ、いわゆる土光臨調(1981年3月、当時の財政危機を背景に、土光元経団連会長を会長とする第二次臨時行政調査会が設けられ、我が国の行財政改革と取り組んだ)にしても、政や官ではない民間のカリスマ的な指導者の力を借りたものであったわけです。


■ 構造改革は最終局面にさしかかっている


 以来20年の時を経て、ようやく改革を柱に据えた内閣が誕生し、経済財政構造の改革をテーマに、その具体的な改革ターゲットとして官僚や公務員の依存的な体質を変革するとともに、民間で云うところのリストラ、不要な人的資源を適切に再配置できる体制作りを進めようとして、「民間でできることは民間に任せる」を合い言葉に、肥大化した官僚機構と公務員組織という聖域へメスを入れ始めたわけです。


 一般企業であれば当たり前のことが、明治以来120年間に渡って築きあげられてきた官僚社会、公務員の親方日の丸気質の中では、なかなか実現できてこなかったわけです。しかし、今ようやくその聖域にメスが入り始めた。その最大といってもいい牙城、300兆円もの国民の資産をほとんど活用しないままに死蔵し、世襲制の特定郵便局長や最大の公務員労組である全逓、与野党両面に渡って強力な政治的圧力を有した組織が手を握り、巨大な官僚と公務員の既得権益を維持しようとしている郵政事業に、民営化の流れが起ころうとしています。


 残念ながら、あと一歩のところで、今国会における郵政民営化関連法案の成立はできませんでしたが、改革には抵抗がつきものです。理がかなわないとなると「情に棹さす」発言が多くなって来ていますが、決してあきらめてはいけません。むしろ、いよいよ抵抗勢力が最後の力を振り絞っている、ゲームでいえばラスボス登場の場面かもしれません。


■ 報道だけを信じず自分で判断することが重要


 特に注意が必要なのは、我が国においては報道が極めて恣意的な動き方をするということです。メディアは公平なものという概念は欧米ではすでに過去のものとなりつつあるようですが、日本においてもその傾向は顕著です。全体観をとらえずに対立軸ばかりを強調する傾向は混乱や事件や事故を、むしろ歓迎している営業主義的な体質が見え隠れしています。そして、重大な局面になると、「わからない」「説明不足」というコメントを多用しますが、これは、極めて重大な責任逃れに過ぎません。国民に対して説明責任のある立場の人々の話を正しく、なおかつわかりやすく伝える責任はメディアにあるのです。そのことを忘れて他人にばかり責任転嫁するメディアに正論を語る力量はもはや残っていません。したがって、もはやメディアに期待するのではなく、国民は、与えられるのを待つのではなく、みずから努力して情報を集め、自分の見識と良識にしたがって、正しい判断をする義務があるのです。


■ あなたの会社の構造改革は


 なんだ政治の話か、と思われるかもしれません。しかし、政治もひとつの企業内の出来事も同じ社会活動なのです。もしあなたが、企業の中で、またはあなた自身の会社で改革を進めようとされているのであれば、おそらく同じような抵抗にあったり、批判にさらされたりしているはずです。そうでなければ、あなたは改革を進めていないことになります。そのときに、忘れてはならないことは、改革には抵抗や痛みはつきものだということです。そして、それであっても、改革は停滞させたり、ましてや後退させるということなど、決してあってはならないことだということを銘記していただきたいのです。


2005年8月4日木曜日

プリンタショックの背後にあるもの

プリンタショックの背後にあるもの


■ プリンタ市場を取り巻く情勢


 好調な業績を誇っていたキャノンが営業利益の下方修正を発表し、株価が一気に下落した翌日、プリンタ関連でキャノンとシェアを二分するセイコーエプソンもプリンタ販売の業績悪化と収益の悪化で業績の下方修正を発表しました。これに連動するように、リコーなどのプリンタ関連企業へも株式の連想売りが発生して、市場は今や「プリンタショック」と呼ばれる状態に陥っています。


 プリンタ市場の現状としては、国内市場はある程度飽和状態が続いているわけですが、おもに欧州向けの輸出市場でキャノンやエプソンの製品が高い人気の元で大きなシェアを獲得してきました。しかし、ここに来て、HPなどの海外ブランドの台頭による価格競争によって収益性が悪化してきたことが今回のプリンタショックを招いたといわれています。


■ プリンタショックの背景


 さて、ここで経済情勢を論ずるつもりは毛頭ありませんが、かといえ、経済の動向と不可分のビジネスの世界に身を置いているわけですから、まったく無視するわけにはいきません。そこで、いわゆる市場の動向とは違った観点で今回の出来事を分析してみることにしましょう。


 まず、パーソナルユースを考えていましょう。最大の利用目的はなんでしょうか。ホームパーティの案内状や住所録程度であれば、枚数は知れています。パーソナルで写真画質のインクジェットプリンターを購入する層の目的の最たるものは年賀状印刷ではないでしょうか。一方で、キャノンとエプソンというシェアを二分するメーカーのパーソナル機の中で上位機は実勢4万円台、普及機で2万円程度です。これを4年使うとして、年賀状を毎年100枚出す人であれば1枚あたりのプリンタコストは上位機で100円、普及機でも50円になります。さらにインク代も結構大きなコストです。写真画質を求めるとなるとフォト光沢紙も必要になります。どうせパソコンで文字も含めてレイアウトしてしまうのであれば、そのまま写真プリントにしてしまうほうがコスト的には安くて済みます。インク代もばかになりません。4色が6色に、ついには8色のカートリッジを必要とする機種まで登場し、インターネット直販でも8色で1万円を超えてしまうというもはや消耗品といえないコストになっています。


 こうして年末ごとに新機種が発売されるプリンタ業界の流れは、すでに消費者からは敬遠されはじめていて、プリンタの市場は国内から未開拓の欧州市場へと向かいはじめたところへ、海外ブランドの競合製品の登場、特にHPやDELLといった直販系の大手メーカーがプリンタとのセット販売を強化してきたために単体販売の両社が低価格競争に巻き込まれたという状況のようです。


 しかしながら、表面的には国際的な価格競争という様相を呈しながら、実際のところ、プリンタメーカーにとって最大の危機が迫ってきているのは意外に別方向からではないかと考えます。


■ ペーパー媒体の変化


 それは、情報の交換や情報発信そして記録の中心的媒体であった紙、あるいは印刷物というものが、やはりそれでも中心であり続けることはここ何十年かにわたって間違いないにせよ、その地位を次第に浸食されつつあるということなのです。おそらく、インターネットが普及したとはいいながら、新聞や雑誌は現在の姿形を変えずにこれからも残り続けるでしょう。それは、ラジオやテレビが登場したときでさえ、新聞や雑誌などのペーパーメディアは生き残ったばかりでなく、独自性を発揮してさらに発展を遂げたことからもいえると思います。


 ただそれは、大規模な出版業や印刷業の場合であって、わたしたちの身近にあるペーパーメディアは大きく変わりつつあるのです。考えてみれば、わたしも義務教育の終わり頃に謄写版印刷というものに出会って、学級新聞というメディアを初めて作ってから、学生時代の手書き原稿とコピー機の登場で簡単に作れるようになった同人誌、ワープロソフトとプリンターの登場で、かつてなら専門業者に頼まなければならなかったようなペーパーメディアがいとも簡単に作り出せるようになって、ついにはフルカラーで写真画質のものでも作り出せるところまで到達したわけです。まさに頂点を極めたといっても過言ではないかも知れません。


■ インターネットによるペーパーレスの進展


 そういった中で、実はプリンタメーカーを震撼させるような流れが起こっていたのです。それはメールやインターネット上のサイトの伸張が、これまで主流であったインクジェットプリンタの市場を周囲から取り崩し始めていたのです。もはや、写真をプリントして配るという習慣は、特に若年層を中心として大きく減りつつあります。企業でそうであるように、印刷物の抑制は、単に環境への影響を理由として削減を迫られているだけでなく、企業内のワークフローの中で、紙による情報公開や情報共有が不可能になる一方で、データによる配布や情報の流通、最後まで問題であった外部から到来する紙情報についてもイメージ処理が簡単かつ効率的に行われるようになったことで、一気に紙からの脱却が進み始めています。


 こうしたことは、大企業や先進的な組織から始まったことですが、IT化の進展や中堅以下の企業やパーソナルユースにおいても活用可能な低価格のイメージスキャナやかつてはアドビー社のアクロバットというソフトでしか作成できなかった文書イメージ処理のデファクトスタンダードであるPDFという形式のイメージデータを作成するソフトが低価格化し、ついにはフリーウエアでまで登場するに至って、一気に活用度が高まってきたのです。


■ OA化の時代は、むしろ紙の増産


 かつてOA化というキーワードがあり、そのめざすところがペーパーレスオフィスであるとうたわれた時代がありました。しかし、OA化の進展は、ワープロや表計算ソフトの活用で、むしろ紙資料が増大して、ペーパーレスには大きく逆行していたのです。もちろん、紙をハンドリングすることについての手間やコストの問題はOA全盛当時からすでに指摘されていたとおりですが、それを解消するだけのITインフラが整備されていなかったわけです。ようやく当時の理想であったペーパーレスオフィスやそれに伴う業務の効率化、環境への負荷軽減といった命題に解決の糸口が出てきたわけですから、これを充分に意識した企業内の業務フローの効率化や改革をすすめて行かなくてはならないでしょう。


 そして、最後のハードルといわれていた許認可申請や法的文書保管についても、e文書法や公的文書の電磁的記録による保管の促進といった施策で行政関係が一気に歩調を合わせてすすめようとしている現在、もはや障害となるのは既存の業務携帯や業務形式に拘泥する一部の経営者層や管理者層、経験者層、および改革抵抗勢力だけになってきているのです。


■ 時代を見極めたソリューション提案を


 時代の流れとしてのプリンタショックは、まだまだ続いていくと思われますし、プリンタ業界にとってはさらにきびしくなる可能性は高いといえます。しかし、コピー機大手の富士XEROX社のように、早くからPDFに対抗するDocuWorks(ドキュワークス)といったイメージ形式および管理のソフトをトータルソリューションとして提供しているメーカーもあります。時代の流れと方向性を見極めることも経営の力だということを認識していただく一方で、ソリューションを提案する側にとっては、プリンタショックの背後にあるものをいかに理解し、大きな時流に即した形での業務改善や経営改革を提案できるかが問われているものと思われます。