ルールと統制が不可欠なEUC |
生協の情報システムが抱える今日的課題 第9回 |
西暦二〇〇七年問題が間近に迫っていることで、産業界は大いなる危機感を募らせている。いうまでもなく団塊の世代の一斉退職に伴い経験的資源が継承されないことでさまざまなノウハウが失われ、企業活動に支障を来すという問題だ。だが、西暦二〇〇七年問題は経験豊富な人材の退職という、ある種関係性や原因と結果が見えやすい問題だ。しかし、エンドユーザーコンピューティング(EUC)によって自動化され、それを構築した担当者が異動や退職によっていなくなっても、ブラックボックス化したまま部署内の業務の中枢で使われ続けているシステムほど、危険なものはないといっていいだろう。
パソコンやオフィスなどのOAツールが進化し、より高度な処理システムがある程度の知識で構築できるようになったときに、「これまで長い時間や高い外注費用をかけてシステムの専門家に依頼してきたことはなんだったのか」という感慨を持ったEUC担当者は多かったに違いない。また、基幹システムはともかく、いろいろなツールを学ぶことで、部署内の業務をさまざまに改善できるという達成感は、担当者たちをますますEUC推進に駆り立てていったわけだ。そうして、いつしか部門業務は誰もわからないほど自動化され効率化され、EUC担当者がただひとり、その仕組みを守り続けるという状況に陥ってしまう。
もちろん、効率化され、自動化されたことは企業にとっても決して悪いことではないし、一定の成果として評価されている間は部門長も機嫌良くEUC担当者の独走を見て見ぬふりをしていた。ただし、その仕組みが安定して稼働している限りはだ。
情報システム部門も無責任であるわけではない。自分たちに降りかかってくるシステム化要求の一端を肩代わりしてくれるわけだし。ユーザー調整というシステム屋たちにとって一番苦手な部分が必要なくなるのだから、むしろ後押しをしていた時期もあったはずだ。
しかしながら、いつまでも安定して動き続けるシステムというものは存在しない。どのような仕組みであれトラブルは発生するし仕様変更は必要になってくる。しかし、何とかの法則ではないが、そういうときには構築した担当者はすでにいなくなっているものなのだ。勢い、肩代わりのつけが一気にシステム部門に降りかかってくる。システム部門なのだからなんとかできるだろう。普通の管理者であればそう考えるのは間違いない。けれども、EUCで構築されたシステムというのは往々にして設計書も仕様書もない。あるのは担当者の頭の中だけというケースがほとんどだ。設計図もなしで他人の作ったシステムを修正したり改造したりするというのは、つい先頃話題になった、耐震偽装されたマンションを構造計算書もなしに耐震強度を再計算するよりもはるかに難しい作業だ。だからこそ、システム部門や外注ベンダーは時間や費用はかかるものの、確実に設計書を作成した上でシステムを構築し、かりに構築した担当者がいなくなっても、後任の担当者が同等の知識を持ってトラブルや仕様変更に対応できるように、人的体制と整備されたドキュメント類を維持していくことになっている。このことは、企業が存続していくために必要な基本的な考え方として、今後数年のうちに我が国においても法的整備が進むといわれている日本版SOX法やISOの品質管理などによる企業内マネジメントの一環として、情報システムに限らず、あらゆる業務の標準化、ドキュメント化が要求されてくることにもつながってくる。
EUCが企業内の部署レベルでの業務改革に果たした功績は決して否定されるものではないが、業務システムの中に地雷か時限爆弾を抱え込むようなEUCにしては意味がない。本来は企業内統制が充分で、ルールとコントロールの下で活用されればEUCは大きな力となるだろう。
もっとも、部門の責任者のみなさんには、いざとなればEUCで構築された仕組みを使わなくても、緊急避難的に業務を遂行できる「避難経路」を常に確保しておく慎重さを期待したいものだ。
(コープソリューション 2006年10月号掲載)