2009年11月9日月曜日

企業活動においてSNSは有効なツールか?②

企業活動においてSNSは有効なツールか?
第2回「ミクシィはなぜひとり勝ちできているのか」


掲示板からSNSへ


 いまやネットコミュニティといって、すぐに答えが返ってくるものといえば2チャンネル(2ch)とミクシィだろう。ミクシィという言葉すらご存じないかたは、申し訳ないが、GooleでもYahooでも構わないので、検索窓に「ミクシィとは」[検索]とやってみていただきたい。あるいは、お知り合いのITコーディネータにお聞きいただきたい。ここでは、そこまでの解説はしない。おそらく、ネットビジネスやネットコミュニティに関心をお持ちで、ここまで読み進んでこられた皆さんであれば、そういう心配はないのではないか。


 2004年3月にサービスを開始したソーシャルネットワークサービス(SNS)のミクシィは、翌2005年8月には、早くも100万人の会員を突破している。一世代前のネットコミュニティであるパソコン通信の覇者ニフティサーブが100万人の会員に達するのに10数年を費やしたことから考えると、隔世のスピードだ。しかも、ミクシィは4ヶ月後の同年12月には200万人、2006年7月に500万人、そして2007年3月についに1千万人という大台に到達している。


 会員同士のグループであるコミュニティは数10万とも百万ともいわれ、1日の参照数(ページビュー)は2億をはるかに超えるという。おそらく今日時点においては、会員数は日本の人口の1割を超え、一概に比較できるものではないが、閲覧者数においてもテレビや新聞といったマスメディアに比肩されるような存在になっているといえる。


 社会的な影響力や、これは人が集まれば必ず起こる現象だが、犯罪行為や違法行為も散見されるようになってはきている。だがしかし、一方で、同様に大規模なネットコミュニティである2chが、誹謗中傷と罵詈雑言の巣窟のように評されるのとは対照的に、比較的おだやかなネットコミュニティを維持できているのは、会員制であることと、しかもその会員資格に紹介者が必須であるという、オープンなネットワークの中にある種、現実社会のしがらみを持ち込むことによって成しえた「安定」なのかもしれない。


 こうしたミクシィの騰勢に対して、他のSNSはどうなっているのだろうか。初回にもふれたが、ネットコミュニティの黒船襲来と話題になった米マイスペースはまったくふるわないまま低迷している。日本最初の商用SNSで現在でもビジネス系に強いといわれるグリー(Gree)も、auの携帯向け公式SNSに採用されたことで息を吹き返しているが60万人台、アバターという似顔絵風のキャラクターを使うことで若い年代層に支持されているカフェスタ(Cafesta)がミクシィに続く第2位という位置にあるが200万人には届いていない。


システム要因ではないミクシィの寡占化


 ではなぜ、ここまでの寡占化、いやもはやミクシィの独占状態といっても過言ではない状態が続くのだろうか。SNSシステムとしてミクシィが他に抜きんでたものがあるかといわれても、これといって特徴のあるものはない。これは、わたしの個人的な感想や報道によるものではなく、システム上の厳然たる事実があるからこう言える。


 それは、ミクシィを構成しているSNSのシステムは、ほとんど同じものがオープンソースとして公開されているからだ。オープンソースとは、有志の人たちなどが、ネットなどの公開スペースでプログラムやシステムを共同で構築して、使用権を一般に提供しているソフトウエアだ。ご存じのかたも多いと思うが、ある程度の知識のあるかたなら「Open-PNE」(オープンピーネ)というSNSシステムをご自分のサーバかPCにインストールしてみていただきたい。ログインして驚かれるかもしれないが、微細な点は違っていても、ほとんどまったくミクシィと同じシステムが、おそらく最低30分もあれば、自分の手中に収めることができるのだ。


 こうして考えると、システム的な優位性がミクシィを独占的な立場に置いているわけではないことは間違いなさそうだ。こう考えると、SNSというネットコミュニティの特性の中にその理由があるように思えてくる。


変質し始めたサイレントマジョリティ


 おそらく、従来の掲示板型のネットコミュニティが、書き手と読み手とに完全に分離することに関係があるのだろう。わたしもニフティのフォーラムマネジャーを10数年務めてきた経験があるが、フォーラムの会員数が3万人であった時点でも電子会議室(掲示板と同様)への発言者は1%未満だった。わたしも発言するメンバーに対して、電子会議室で発言するというのは、パネルディスカッションのようなもので、数人が井戸端会議をしているように思えても、その周囲を数百人、時には数千人が黙って見守っていることを忘れてはいけない、と軽率な発言をしないように諭したものだった。


 しかし、SNSでは参加者はまったくの観客ではない。SNSの特徴として、必ず個人のページというものがあり、それが、最小でも紹介者のページにはその人のページとして紹介されており、紹介者の別の友人からは、その人の存在を隠すことができないようになっている。この友人というつながりがSNSの最大の特徴の一つかもしれないが、それが実社会のそれとは異なるものであっても、友人関係を結ぶことで、はじめてお互いのページなどをその友人にも紹介できるようになっている。仮に紹介者以外とは一切の交流を絶っていたとしても、誰かの公開日記を見たり、その個人ページを訪れたりすると、足跡という訪問記録が残って、その人の訪問を持ち主に知らせてしまう。まさに、社会のしがらみのように周囲との関係性を縦横に結んでしまうシステムなのだ。


 もっとも、そういった関係性をいやがる人ばかりではないからこそ、また、ネット上での、そればかりではないことは承知しているが、よく取り上げられる2chのような匿名型のコミュニティにおける殺伐としたコミュニケーションに疲弊したり嫌悪感を抱いたりした人たちにとっては、自分の判断でコミュニティの範囲を狭めたり広げたりできる、自分にあったネットコミュニティという意味でSNSが受け入れられたのではないか。


 そうして、ある種、そこに居着いてしまった人たちにとって、友達もミクシィ上にできはじめ、また、これは規模のメリットということかもしれないが、わたしも長年疎通であった友人数人とミクシィ上で再会することができたが、こうした実社会にも通じるメリットがあって、ますますミクシィに集中する傾向は強くなって、いわば幾何級数的に拡大していったということなのではないだろうか。


 ここまで長々とミクシィ論を展開してきたが、この稿の目的がそれではないことはいうまでもない。ただ、ここまでごらんになってお気づきのように、これまでミクシィについて分析してきたことがすなわち、ネットコミュニティの今日的状況の分析になるわけだ。ただし、この状況分析が今日的であると言ったことをご記憶いただきたい。後段で少し将来的な動きについても触れさせていただく予定だからだ。


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