いまさら云うまでもなく、日本の人口分布は尻すぼみの逆三角形を描いています。その最たる理由は、戦後ベビーブーマーである団塊の世代およびその団塊ベビー世代の存在であり、1980年頃に特殊出生数が1.50を下回った極端な少子化にあります。
特に、今年2015年は、団塊の世代がすべて65歳以上、すなわち前期高齢者となるという節目に当たります。
総務省「国勢調査」及び「人口推計」、国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(平成24年1月推計)によれば、全人口の25%、4人にひとりが65歳以上の高齢者となります。
10年後の2025年には、65歳以上の高齢者の人口に占める割合は、30%となり、その中でも、団塊世代が75歳以上の後期高齢者、いわゆる要介護世代へとさしかかってくるという超高齢化社会が登場してくることになります。
デジタルネイティブ世代が成人へと成長
一方で、こうした団塊世代と相対峙して語られることが多いのが、デジタルネイティブ世代です。
彼らは、1990年以降に生まれた世代で、いわゆる「ゆとり教育」世代でもあるわけですが、物心ついた90年代半ば以降は、いわゆるインターネットが登場し、家庭用ゲーム機、携帯電話が身の回りに最初から存在していた世代です。
こうしたデジタル機器を日常的に使いこなすことはもとより、その恩恵を享受する一方で、デジタル世界ならではの文化や生活習慣、社会との関わりを持ってきた世代とも云えます。
ある定義によれば、
・現実の出会いとネットでの出会いを区別しない
・相手の年齢や所属・肩書にこだわらない
・情報は無料と考える
といった世代的特徴を持っているということですが、いずれにしても、このデジタルネイティブたちが、いよいよ社会へ出てきたことはこれからの社会全体をとらえる上で重要なファクターになってきます。
彼らは、1990年以降に生まれた世代で、いわゆる「ゆとり教育」世代でもあるわけですが、物心ついた90年代半ば以降は、いわゆるインターネットが登場し、家庭用ゲーム機、携帯電話が身の回りに最初から存在していた世代です。
こうしたデジタル機器を日常的に使いこなすことはもとより、その恩恵を享受する一方で、デジタル世界ならではの文化や生活習慣、社会との関わりを持ってきた世代とも云えます。
ある定義によれば、
・現実の出会いとネットでの出会いを区別しない
・相手の年齢や所属・肩書にこだわらない
・情報は無料と考える
といった世代的特徴を持っているということですが、いずれにしても、このデジタルネイティブたちが、いよいよ社会へ出てきたことはこれからの社会全体をとらえる上で重要なファクターになってきます。
世代間のデジタルデバイド(情報格差)は本当に存在するのか
現代と、これからの日本を象徴するであろう2つの特徴的な世代、団塊の世代を中核とする高齢者世代と、デジタルネイティブと呼ばれる世代。この両者を明確に定義する物差しとして使われているのがデジタルというキーワードであり、デジタルにそぐわない高齢者世代については、デジタルデバイド(情報格差)における弱者に位置づけられています。
本当にそうなのでしょうか。
本当にそうなのでしょうか。
ここで、もう一度、デジタルネイティブと呼ばれる世代について考えてみましょう。たしかに、彼らは生まれながらにしてデジタルでバイスに囲まれ、その利便性を享受してきているかに思えます。しかし、実態として、彼らが使ってきた、あるいは、その恩恵にあずかってきているデジタルデバイスは、携帯電話の通話であったり、ゲームであったり、本当の意味で、生活を営んだり、自分が生きていく上での重要な場面で恩恵を受けてきたという感覚ではないはずです。
実際に、ネット上でもリアルでも出会いを区別しないとはいわれながら、実際は、「ネット上は知り合い、親友はリアル。」と割り切っている高校生たちも多いようです。よくいわれる「リア充」(現実の生活が充実していること)にあこがれるところからも、それはうかがえます。
しかも、彼らは、まだ家庭を営んだり、社会において重要な地位や立場には至っていない世代です。その点からも、相手の年齢や所属・肩書にこだわらないというのは、こだわるべき状況に至っていないというべきでしょう。
実際に、ネット上でもリアルでも出会いを区別しないとはいわれながら、実際は、「ネット上は知り合い、親友はリアル。」と割り切っている高校生たちも多いようです。よくいわれる「リア充」(現実の生活が充実していること)にあこがれるところからも、それはうかがえます。
しかも、彼らは、まだ家庭を営んだり、社会において重要な地位や立場には至っていない世代です。その点からも、相手の年齢や所属・肩書にこだわらないというのは、こだわるべき状況に至っていないというべきでしょう。
デジタルネイティブは、本来のデジタルには弱い?
1990年代から普及し始めたデジタルデバイス、その端緒はPCの登場でしょう。Windowsの登場以前は、やや専門的な機器であったPCが、Windows3.1の登場以降、社会の中で当たり前に使われるツールとして、特にビジネスにおいては不可欠のデバイスとなりました。
しかし、それでもPCには、やや越えがたいハードルのようなものがあって、PCが使えるということ自体が、まだまだスキルだった時代が長く続きました。
ところが、PCが事務処理機器からインターネットの入り口となるにつれて、そんなスキルがなくても、自由に情報に接することができるようになりました。また、通話のためにあった携帯電話でもインターネットやメールができるようになってきました。
デジタルデバイスの側から、どんどん簡単に利用できるように変貌してきたと云えるのかもしれません。
しかし、それでもPCには、やや越えがたいハードルのようなものがあって、PCが使えるということ自体が、まだまだスキルだった時代が長く続きました。
ところが、PCが事務処理機器からインターネットの入り口となるにつれて、そんなスキルがなくても、自由に情報に接することができるようになりました。また、通話のためにあった携帯電話でもインターネットやメールができるようになってきました。
デジタルデバイスの側から、どんどん簡単に利用できるように変貌してきたと云えるのかもしれません。
そして、スマートホンが登場してきました。小さな端末の中にインターネット環境から、通信・通話、PCに匹敵するアプリまでもが搭載されてきています。しかも、PCが仕事や業務という側からスタートしたのに対して、スマホはパーソナルなツールとして、また、楽しみや遊びも含めた側から人びとの手元に行き渡りました。そのために、難しいスキルなどなくても、誰でもが簡単に利用できるようにどんどん進化してきました。
メールのように、いちいち文章を打たなくても、電話のように相手が出てくれなくても、リアルタイムに会話ができるLINEやTwitter、友達だけ、仲間だけでのやりとりができるFaceBookなどのSNSが登場してきました。
そういったツールを使いこなせるデジタルネイティブたち、彼らは、そのままで社会に出て仕事もそれまでの世代以上にこなせるでしょうか?
Excelや業務アプリをちゃんと使っていけるでしょうか?
実のところでいえば、デジタルネイティブたちも、以外とデジタルそのものには弱くなっている、それだけ、デジタルデバイスが使いやすく、かんたんになってきている、あるいは、そうならざるを得なくなっているのかもしれません。
メールのように、いちいち文章を打たなくても、電話のように相手が出てくれなくても、リアルタイムに会話ができるLINEやTwitter、友達だけ、仲間だけでのやりとりができるFaceBookなどのSNSが登場してきました。
そういったツールを使いこなせるデジタルネイティブたち、彼らは、そのままで社会に出て仕事もそれまでの世代以上にこなせるでしょうか?
Excelや業務アプリをちゃんと使っていけるでしょうか?
実のところでいえば、デジタルネイティブたちも、以外とデジタルそのものには弱くなっている、それだけ、デジタルデバイスが使いやすく、かんたんになってきている、あるいは、そうならざるを得なくなっているのかもしれません。
予想外にデジタルに強い団塊世代
そう考えてみると、団塊の世代もあながち軽んじることはできないかもしれません。
彼らは、中年・熟年以降になってPCやインターネットに出会っています。それでも、仕事ですから、やれメールや社内グループウエア、業務ソフトなどを使わざるを得ない状況に追い込まれ、それを生き抜いてきた強者たちです。ホワイトカラーだけでなく、現業系でもデジタル化は半端なく押し寄せて、それらを使わないと職人技も生きてこなかったはずです。
そういった彼らがリタイアして、時間とある程度の資金を持った現在、決してデジタルデバイドの弱者側に甘んじているとは思えないのです。
彼らは、中年・熟年以降になってPCやインターネットに出会っています。それでも、仕事ですから、やれメールや社内グループウエア、業務ソフトなどを使わざるを得ない状況に追い込まれ、それを生き抜いてきた強者たちです。ホワイトカラーだけでなく、現業系でもデジタル化は半端なく押し寄せて、それらを使わないと職人技も生きてこなかったはずです。
そういった彼らがリタイアして、時間とある程度の資金を持った現在、決してデジタルデバイドの弱者側に甘んじているとは思えないのです。
現実に、パソコンなどの市民講座は、まっさきに定員オーバーになる状況が続いているといいますし、家電量販店でも最近の格安スマホ売り場には、中高年がいちばんに殺到しているともいわれています。iPhoneなどのブランド化したスマホに群がる若年層に対して、中古年層は実利を見抜く目を持っているからかもしれません。
こうして考えると、これまでの高齢者はともかく、日本の高度経済成長を支え、かつてのバブルの恩恵も、その後の暗黒の時代も乗り越えてきた団塊の世代にとっては、デジタルデバイスに対応することくらいはそれほどの難度ではないのかもしれません。
こうして考えると、これまでの高齢者はともかく、日本の高度経済成長を支え、かつてのバブルの恩恵も、その後の暗黒の時代も乗り越えてきた団塊の世代にとっては、デジタルデバイスに対応することくらいはそれほどの難度ではないのかもしれません。
世代論で論じるべきではないデジタルデバイド問題
一般に、若い、イコール、デジタルに強い、高齢者、イコール、弱いというステレオタイプ化をしがちですが、すでにデジタルでバイスが登場して四半世紀、おおむねひと世代が経過した現代にあっては、デジタルデバイド(情報格差)は年代で論ずるべきではないと思われます。その一方で、デジタルデバイス側には、不断の使いやすさ、簡単さへのアプリローチが求められており、これを怠ることで、利用者に対する情報格差を招くというよりも、その情報や情報発信者・提供者側が淘汰されるという格差を受けてしまうのではないでしょうか。
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